心の研究

正しさは、暴力かもしれない

正しい
この記事の所要時間: 340

先日、ある人を怒らせてしまいました。

彼女は私にこのようなメールを送りつけてきました。

「あなたはこれまでの地区の伝統を侮辱した」

地区の伝統を侮辱?

そんなつもりは全くないので驚き、それまでの経緯を振り返りました。

すると何となく思い当るものがありました。

それは・・・

正しさやルールは、檻である

私は地区のある仕事を一年間やってきました。

その仕事は順番に回って来るもので、毎年順番に当たった人がやるものらしく、嫌々ながらも私なりに頑張ってやってきたつもりでした。

しかし、来年の順番に当たっている人が急にその仕事はできないと言い出したのです。

理由は、「子どもや家族が反対している」というもので泣いてお願いされました。

私は、聞いてしまったら「じゃあやらなくても良いので別の人に頼めばよいのでは?」と別の人に声をかけてやってもらうことになりました。

それを、私の前任者である彼女に相談しないで私一人で決めたということをかなり怒っていました。

また、それ以外にも細かい指示が全然できていないという理由で私に不満があったようでした。

細かい指示に関しては、私はその理由が分からないとできないタイプなのでそこまで細かいところまで見ておらず、他の方法でやっていました。

その私の勝手な行動が、「これまでの地区の伝統」を破り、その伝統を守り続けていた歴代の担当者に対する侮辱だと言うのです。

正しさやルールを守らないのは侮辱なのか?

私はショックを受けました。

根拠や理由のないルールや正しさは全く意味がないと思っていたからです。

次の担当者の仕事を免除して勝手に決めたのは、やる気のない担当者がいたところで、迷惑がかかるから辞退を受け入れたわけだし、細かい指示に関しても、結果に大きな影響がないためにやらなかったまでのこと。

それらのことが、正しさルールを守らないというのが歴代の担当者に対する侮辱だとは考えてもいませんでした。

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正しいことやルールにこだわり、細部に目を光らせていた

私の前の担当者は、正しいことやルールにこだわりながら担当が終わった後も何かと世話を焼いてくれていました。

私もずいぶん彼女に助けられました。

しかし、彼女と同じレベルの仕事をするのは私にはムリでした。

元々細かいことが苦手で、マイペースで生きてきたわけだし、自分の仕事を抱えながらの地区のボランティアに対して何の情熱も使命も感じられなかったのです。

正しさやルールを守らないことはそんなに酷いことなのか?

この事件で私は正しさやルールについてかなり考えました。

その地区の仕事をする担当者はロシアンルーレットみたいなもの。

転勤族の多いこの地区に引っ越してきて不幸にもその仕事を振られたら断りたくとも断れずやらなければならいのです。

そしてルールや正しさを守らなければ侮辱と言われる。

結局、何のための仕事なのか?というのも疑問を感じます。

みんな、やりたくてやっているわけではないし、地区の安全や住み安さを考えていてそれがみんな一緒ではない。

ルールや正しさに縛り付けられているとそちらの方を優先させてしまいます。

だから、何のためのルールや正しさなのか?ということをそれぞれ話し合うというのも大事なのかもしれません。

正しさやルールを守らないと憤る人と村社会

ルールや正しさを守らないで憤る人は、ルールや正しさに縛り付けられ、それを破る人が許せないのでしょう。

私はルールを守らないがために彼女にとっては犯罪者に映っているかもしれません。

悪魔に見えているかもしれません。

それでも私は何も悪いことをしていないし、私なりに一生懸命やってきたつもりです。

こちらが謝り、彼女の気持ちを落ち着かせるしかありませんね。

ルールや正しさにこだわる人との付き合いは今後要注意せねばと感じました。

村社会の原型がもしかしららこのようなルールと正しさに縛られていたのかもしれません。

時代が時代なら、私のような人は村八分。

この土地に住んでいる限りは、村八分なりに村との調和を模索していこうと思います。


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