本日は子どものピアノの発表会でした。
幼稚園から中学生くらいまでの子たちがそれぞれ選んだ曲をピアノで弾くだけなのですが、感動が止まらず、ずっと泣き通しでした。
演奏が終わって隣の席に座ったうちの子どもは、泣いている私を不思議そうに見て言いました。
「何で泣いてんの?」
私がピアノの発表会で泣いた理由とは?
前回の発表会は子どもの成長に感動
子どものピアノの発表会は今回で2回目です。
前回は、2年ほど前。
ピアノを習いたての子どもが舞台に上がり、一生懸命ピアノを演奏する様は見ていて本当に感動でした。
確かまだ9歳でしたから、赤ちゃんの時からの成長ぶりにずっと心が震えていました。
今回の感動はちょっと違いました
今回のピアノの発表会の感動はちょっと違いました。
とても不思議なのですが、子どもたちが一生懸命ピアノからはじき出す音が宇宙からの贈り物だと感じて、その贈り物のの溢れんばかりの愛になんだかとても感激してしまったのです。
変な話しです。
ピアニストでもない、ピアノを習いたての子どもの弾くピアノの音色が宇宙からの贈り物だと感じるなんて、自分でも驚きました。
宇宙は二つとして同じものを作らない
子どもたちの選んだ曲は、ダブっていたものもありました。
人気の曲は数人が弾いていました。
しかし、全部違うのです。
同じピアノ、同じ音階、同じ楽譜なのに、ピアノを弾く子どもによって全く違う音がホールいっぱいに鳴り響くのです。
私たち一人一人も全く違う人間だからです。
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一人一人が持ち合わせた個性が全員違うことって、もの凄いことなんだと改めて感動していました。
そしてその一人一人の愛が音になってホールいっぱいに広がり、とても神聖な気持ちになっていたのでした。
感動は日常にある
今日のピアノの発表会は実は、うちの子どもの演奏が終わったら寝ていようと思っていました。
ピアニストでもない、素人の子どもたちのピアノの演奏を聴くのは退屈だと思ってしまったのですね。
だけど、それは全くの誤解でした。ピアニストでもない子どものピアノの演奏に宇宙からの愛がいっぱい詰まっていることを発見してしまったのです。
今回はイベントホールでの出来事ですが、実は日常のあらゆる場所に感動はあります。
道ばたに咲いた花や芽を吹き出しそうなつぼみ。小鳥のさえずりや通り過ぎる人たち、家族。
あらゆる物事や場所に愛がびっしり詰まっていたことに気づいてしまいました。
感動はあると思ったところにある
あらゆる物事や場所に愛がびっしり詰まっていたということに気づいてから、見える日常が変わりました。
これまで感動は本を読んだり映画を見たり、何かしらの人との関係からしか生まれてこないと思っていたのですが、実は自分の内側からあふれ出すものだったのですね。
「感動なんてない」、「つまらない」と思っていれば感動なんていつまでたってもやってきません。
しかし、「感動はあらゆるところにある」と思った瞬間に全てが見えるものとその奥にある見えないもの全てに感動がぎっしり詰まっていると思ったのですね。
人生を変えるとか、とても難しいように感じていたのですが、自分の気持ち一つで世界の見え方が変わってしまうのだから、人生なんて簡単に変えられるかもしれませんね。
あなたはどう思いますか?
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