「頭が固くて融通が利かない」
「頭の回転も悪いから機転が利かない」
プライベートでも仕事でも「頭の固さ」を指摘されて苦笑するしかないってことありませんか?
私はずっと「頭が固い」と言われ続けてきました。最近になって頭の固さは心の堅さだと気がつき、心をもみほぐして柔らかくしています。
心を柔らかくするもみほぐし方法とは?
もくじ
頭が固くて生きづらい人のパターン
私は長いこと、生真面目で頭が固く、心は常に緊張状態でパンパンに張りつめていました。これは家庭環境のせいもあったと思います。
両親が厳しく、学校の成績にはうるさかったので「良い点を取ろう」「成績を上げよう」「学年の順位を上げよう」としてがりがりに勉強していました。私の存在価値は「学校の成績を上げること」「優等生でいること」でしか認められませんでした。
だから、周りからは「まじめ」「堅い」「我慢強い」などと言われながらら、実は「つまらない人」だと思われていました。その証拠に、私には中学や高校時代に友達と呼べる人がいませんでした。学校でみんながワイワイ楽しんでいる中に私が入ると、みんな堅苦しそうな顔をしてその場が白けていきました。恐らく、「私と一緒にいると退屈だ」とか「面白くない」と思われていたと思います。
一番退屈していたのは頭が固くなっている本人
周りの同級生から疎んじられていた私ですが、実は一番自分を疎んじていたのは他ならぬ私でした。頭が固かった時は常に何か正解があってその正解通りにやらないと受け入れてもらえないのではないのか?という漠然とした不安と恐怖がありました。
「~すべき」という行動ルールに従って生きていたからまるで檻の中にいるようなものでした。
また、たくさんの禁止事項があり、禁止を犯さないように注意していました。、
他人に迷惑をかけちゃいけない
わがままを言っちゃいけない
規則は絶対守らないといけない
目に見えない鉄格子の中で私は自分がやっても良いと言われたことだけをひたすらやっていたのでした。それが学校の勉強でした。
頭が固いながらもあった、自由への憧れ
目に見えない鉄格子の中でも私にも自由への憧れがありました。他の同年代の子たちのように、「毎日楽しく明るく生活したい」と思っていたのですが、私にはできないと思っていました。やっちゃいけないんだと思っていました。
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それは、自分を育てた両親への裏切りだと考えていたのです。
頭の固い両親の考え方に縛られていた
私は頭の固い両親の考え方に縛られていたのでした。人生で何もかもうまく行かなくなったとき、私は両親を責めていました。「あなたたちのせいでそうなった」と。
両親に長い間、反発していました。なぜあのような両親の元に生まれてしまったのか?神様を恨みました。社会を恨みました。人生を恨みました。たくさん恨んで散々批判して、ようやく気が付きました。
両親にずっと依存していた私と、被害者意識から抜け出せなかった私は自分を幸せにするという責任を放棄していた。
要するに長い長い子ども時代を送っていました。それも心がぼろぼろのまま年だけ取っていました。子どもは両親から自立していつしか自分で自分を幸せにする責任が生まれて大人になっていくんですね。
恐怖と不安を植え付けられて育った子どもはなかなか大人になりきれないようです。
大人は、社会的なルールを守るという義務の他に、自分で自分を幸せにする責任があり、それを自立と呼ぶようです。自由な心は責任と表裏一体。
まずは自分で自分を幸せにする責任を果たしましょう。
頭を柔らかくする、心を柔らかくする
これまでコチコチだった心を柔らかくするには、もみほぐしてあげて徐々に柔らかくしてあげた方が良いですね。その方法は、3ステップ。
- まずは自分の一番居心地の良い場所や状態を確認する。
- 次に、頭で考えることをやめてみる。
- そして、心がワクワク楽しめることを探して、心を自由自在に遊ばせる。
人生にはルールはあるけど正解はない
人生に、ルールはありますが正解はありません。成功者が正しいわけではなく、他人の人生は他人に貸せておけばよいのです。
正しい生き方や正しい考え方もありません。カリスマやお手本になる人、スターに憧れる必要もありません。
ただ一つ、人生にルールがあるとしたら、それは、「私は私になる」
私が私になること、自分自身の人生を生きること。これこそがまさしく天職であり、天命なのですね。
私は、あのような自分の両親の元に生まれて生きるのが自分の天職であり、天命でした。長かったけど天職と天命を乗り越えて、私に一歩近づけたことで大きな前進を迎えられました。
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