私は、機能不全家族の元に生まれて育ちました。
しかし、大人になるまで自分の家が機能不全家族だと考えてもいませんでした。
ただ、私の家は周りの家とは違っていました。
私がものごころついて分かったのは、祖父と父の不仲と祖父の異常な暴力でした。
祖父は、私が小学生になるまで家族とは別居し、東京に住んでいました。
時々帰ってきては、また東京に行くという生活をしていました。
祖父は出稼ぎで東京に行き、掃除の仕事などをしていたのでした。
しかし、父も母も働いていましたからうちは祖父が出稼ぎしなくてはいけないほど貧しいという訳ではありませんでした。
なぜ祖父が家を離れ、わざわざ東京まで出稼ぎに行っていたのか、祖父が還暦を迎えて東京のアパートを引き払い、家に戻ってきてから分かりました。
機能不全家族の日常
祖父は、酒を飲むと暴れ出し、祖母や家族に暴力を振るいました。
初めてその姿を見たとき、心が真っ暗になりました。
スポンサーリンク
祖父は、お盆や正月に東京から一時戻ると、おみやげを買ってきてくれたり、やさしかったのに。
大好きな祖母を殴り飛ばし、家中のガラスを割り、近所の人たちの悪口を大声で叫ぶ。
父が入ると、父とも殴り合いをして家中が地獄になりました。
年に何度か祖父の暴力は続きました。
そして、暴力を振るうのは祖父だけではありませんでした。
暴力の連鎖
父も母も私に暴力を振るいました。
鼻血が出るまで殴り倒し、家を追い出し、祖母が入るまで止まりませんでした。
父も母も、怒りの感情を私に向けていました。私のしつけと称して、実は自分たちの怒りの感情を私を殴り飛ばすと言うことで解消していたのでした。
私は家にいても気持ちが休まらず、いつも緊張している状態でした。
誰に打ち明けても、信じてもらえず、心の痛みをしまい込むしかありませんでした。
「お父さんとお母さんの悪口を言っちゃダメだよ」
優しい両親の元で育った優しい友達に言われました。
あの頃のことを思い出すと涙が出そうになります。
スポンサーリンク