私が小泉今日子さんに共感したところとは?
アンチエイジングを意識してみて
ここ10年くらいでしょうか。アンチエイジングという言葉に敏感になって意識して生活してきました。
私がアンチエイジングを意識した理由は2つあります。
ひとつは、実年齢よりも一歳でも若く見られることが嬉しかったこと。
ふたつめは、しわっぽい顔を人前にさらすのは、しわくちゃの洋服を着て公式な場に出るようなものだと考えていたことです。
ひとつめの実年齢より若く見られるのは単純に嬉しい。だけど反対に一歳でも多く見られるとイヤな気分になりました。
ふたつめは、化粧がマナーの一つならば、しわっぽい顔はマナー違反になるのではないか?と考えていたのです。
しわがたくさんあって人前に出ていても別に何のマナー違反でも無いのですが、勝手にそう思いこんでいた節がありました。
アンチエイジングの本音は「他人に老けた姿を晒したくない」こと
「老けた姿を他人に晒したくない」これがアンチエイジングの本音です。
「若さの特権にしがみついていたい」という気持ちもあるかもしれません。
私にも「若い」ということで、いろいろ許された時代もありました。
だけど、今は、年相応の覚悟で社会的な責任も負う年齢。この覚悟と責任から逃げたいという気持ちもあったのかもしれません。
いずれにせよ、自分自身の生物学的な老化への抵抗であり、それがアンチエイジングを意識せずにはいられませんでした。
アンチエイジングの嫌いなところ
アンチエイジングを意識して生活している中でも、アンチエイジングに違和感や抵抗感を持っていた部分もありました。
アンチエイジングで、外見の若さを追求するあまり、自分自身の力ではどうにもできなくなっているところに、高級化粧品や美容整形、エステなどが救世主として登場し、お金を払えば救われますよ。
というシナリオが、実際にお金を支払って救われた(という)美魔女たちとともに世間に広まっていました。
元々若い頃からきれいだった人が、若さをキープし続けているだけなのですが、一般の普通の人たちも、「お金出せば美魔女みたいになれますよ」っていう美容業界の思惑にまんまと乗せられてしまっている感じです。
その証拠に、美容業界は「アンチエイジング」というたった一つのキーワードのおかげでかなり儲かっているようです。
こんな現状に嫌らしさを感じていたところに、小泉今日子さんの「アンチエイジング大嫌い」がかなり刺さりました。
アンチエイジングの先にあるもの
アンチエイジングに対して嫌らしさを感じてしまった私のこれからですが、すでに心の中で決まっています。
「他人の評価を気にする私から卒業する」ことです。
他人の評価なんて不確かなものを気にし出し、振り回されていたら心の平和なんて一生訪れません。
しかも、アンチエイジングを意識していると、他人の創った美しさを追いかけている私がいます。
これって、外側に振り回された人生ではないでしょうか?
これからは、
「私が喜ぶ私になる」そういうマインドで残りの人生を突っ走ろうと考えています。
今まで、ないがしろにしていた私をもっと意識した人生を送っていこうというわけです。