合わない靴を捨てる、人生にとっての意味とは?

心地よい暮らし、していますか?
 
これまで家族優先で送ってきた生活も徐々に卒業し、私の心地よい暮らしをもっと追求していこうと決めました。
そして私が最初にしたのは、合わない靴を全て捨てることでした。

合わなかった残念な靴とは?

 

合わない靴たち

私はおしゃれさんたちのように大量の靴を保有していた覚えはないのですが、不要な靴は7足もありました。

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この7足の中には、一回しか履いていないものもあり、もったいないと思いましたが、「えいっ」とゴミ袋へ。

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一回しか履かなかったのに捨てる運命になった靴たちは、ほとんどがインターネットでの購入。

返品すれば良いのですが、バーゲンセールで購入して「返品不可」のものもありとりあえず下駄箱に保管していました。保管されていた靴たちに今後も出番はないだろうと予測して本日、捨てる決断をしました。

私に合わないモノは真っ先に排除する

合わない靴と同時に、合わない洋服や合わないモノもどんどん排除していこうと思います。

最終的に自分の心地良いと感じるものだけに囲まれた贅沢な生活を送ることをモクロんでいます。

モノだけではなく、考え方や常識、幻想なども排除して私が本当に喜ぶ考え方や価値観で人生を過ごしていけたら、どんな国の王女になるよりも幸せな一生を終えそうです。

たぶん、モクロみが成功すれば、キャサリン妃よりも私の方が贅沢で幸せな一生を過ごすでしょう。

合わないモノに囲まれていた時代は暗かった

私が自分の心地よさにこだわるのは、自分の成育過程の影響が大きいと思います。

私の両親はもの凄く生真面目で子供思いの人たち。。。なのですが、私と価値観が全く合いませんでした。食べ物の好みから洋服のセンス、選ぶものほとんどが全く違うのです。

特に母親の趣味とは絶望的に合いませんでした。それなのに、私は母の選んだ洋服しか着せられませんでした。

もうイヤでイヤで仕方がなくかったのですが、私の選んだ洋服は母にさんざん貶されたので、ガマンして母の好みに従っていました。

そんな体験をしたからこそ、他人の価値観ほど窮屈なモノはないことは身にしみて感じています。他人の価値観に従っていると、だんだん自分の感覚がマヒして、自分は何が好きで何が嫌いで、何が心地よいのか分からなくなってくるのです。

自分の感覚が全く信じられない暗黒の時代でした。

そんな暗い時代があったからこそ、やっと手に入れられた自分の心地よさを追求できる贅沢に喜びを感じます。

合わない靴を捨てるように合わない価値観を捨てよう

合わない価値観に従って、知らず知らずのうちに自分の感覚を見失っていませんか?

ガマンに美徳を感じていませんか?

自分自身の感覚に嘘を付くことは自分を虐待するようなものだと痛感しています。

だからこそ、そんな状態から早く抜け出して、魂ふるえて喜ぶような心地よい暮らしを楽しみましょう♪

キャサリン妃よりも贅沢で幸せな一生を送れるかも??

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