災難続きで精神的に参ってしまったのは今年の3月。
あれから8ヶ月くらい経ち、客観的に見られるようになって分かったこととは?
災難続きだった今年3月
今年の3月は最悪でした。
子どものPTAの役員の仕事があと数日で終わるという時。
一通のメールが届いたのです。
そのメールは、ママ友であり私の前にその役員を担当していたかたからのもので、びっくりするような内容でした。
詳しくは控えますが、おおよその内容は、
「あなたは歴代のPTA役員を侮辱した」
というものでした。
彼女が「歴代のPTAを侮辱した」というのは、彼女自身が侮辱されたと感じたからでしょう。
私は彼女の何を侮辱したのか冷静に考えてみたところ、彼女は歴代のPTAたちがやっていたことを一字一句間違えずに踏襲してきたのですが、私は不便なところや無駄なところはできるだけ簡略化してやっていました。
私は誰も侮辱した覚えはなかったのですが、彼女が侮辱されたと感じたならばそれは私が悪いと思い、家に行って謝りました。
それ以来彼女とのつきあいはなくなりました。
次々と起こる災難
それから今度は体調がおかしくなりました。右下腹部が非常に痛くなりその痛さで頭が朦朧としてくるようになったのです。
その痛みは数日で引くので最初は気にしないようにしていたましたが、数カ月ごとに来るようになり、病院で検査しました。
検査結果は異常なしで、痛むようならと鎮痛剤を処方されました。
更にその後、財布を落とし、出てきたと思ったらお金が抜かれていてショックを受け、更に買い物帰りに自転車のかごに積んでいた食料をカラスがレジ袋ごと持って行き、びっくりして自転車ごとひっくり返り足と手に擦り傷ができてしまいました。
災難に落ち込む
これほど災難が続くのは何か祟られているのかもしれないと、念のため近所のお寺で除霊をしてもらいました。
それでも、3月の突然の一通のメールからメールボックスを開けるのが怖くなり、道で彼女にばったり会うと、気持ちがものすごくザワツきました。
右下腹部の痛みは時々やってくるし、カラスが怖くて自転車で買い物に行けなくなるし、金運にも見放され、暗いどんよりした日々が続きました。
災難の意味と苦しくなる原因を突き止める
最初の災難が心の中でトラウマのようになっていたので、このトラウマの原因をよくよく考えてみました。
その結果見えたのは、「正しさの平手打ち」でした。
私にメールを送ってきた彼女は自分が正しいと思っていた。私も自分は何も悪くないと思っていたし、むしろ無駄などを改善できてそれが正しいと思っていました。
お互い正しいを主張しあっていたのです。
正しいの平手打ちをお互いにバシッとやっていた状態。私も悪かったけど彼女も悪かった。なぜならお互いの「正しい」を押しつけていたから。
「正しい」ことは人によって違うもので、特にPTAという存在の意味が不明な団体では、「正しい」基準は強い人の基準になってしまう。そういう事情があるのです。
PTAのような存在の意味が不明な団体は、世の中にたくさんあります。そういう中で「正しい」を主張するのは無意味だというのがよく分かりました。
この経験で深い学びが一つできて知恵が付きました。
また、その後、右下腹部の痛みのおかげで不思議な先生にお会いすることができました。その先生は身体を触ってどこが悪いかが分かる人で、何度か治療に通い良くなりました。
もし右下腹部を放置していたら、将来右足を引きずって歩く状態になっていたようです。災難だと思っていたのが吉に変わったのでした。
財布を落としたことやカラスがレジ袋を持って飛んで行ったのは私の不注意を改めるために必要だったのでしょう。
それもまた意味があったようです。
災難続きには意味がある
今年3月からの災難や今までの似たような体験からつくづく思うのは、災難続きには、その原因が必ずあり意味があるということ。
災難が起きたことで今まで気が付かなかったことや知らず知らずのうちにしていた間違った考え方やマインドが一度リセットされ、深い学びにつながりました。
不幸や災難は天が人をいじめるために起こすのではなく、間違いや勘違いを改めさせるために与えてくれる愛のビンタのようなもの。
被害者にならず、不幸を嘆かず、冷静に今までの自分自身を振り返ってみる良いチャンスになります。
愛のビンタは強烈に痛かったりしますが、それでもこれからの人生がもっと良くなるための天からの贈り物。
天は少々スパルタチックだったのです。
かるさん
ブクマ&コメントありがとうございます!災難にはヒントが満載ですよ?