私ともう一人のお母さんは、何も言えずにオロオロするだけ。
みんなやっているのにやらないのは、そんなにダメなのでしょうか?
みんなやっているからPTAの役員をやりなさい
先日、PTAの役員決め。
そんなプライベートな、できれば隠したいことも話して、「PTA役員を辞退したい」とそのお母さんが言ったら、一人のお母さんから冒頭の言葉が出ました。
「みんなやっているのにやらないのは非常識、やらないとこのマンションに住みにくくなる」
その場にいた他のお母さんたちは激しく賛同していましたが、私は「みんなやっている」という言葉が「脅し」にしか聞こえませんでした。
お子さんが精神的に参っているのに、それでも「みんなやっているから」やらないとダメだと言う理屈に凄く嫌な気持ちがしました。
「みんなやっている」と言う言葉の強制力
小さい頃から私を苦しめたのがこの「みんなやっている」という言葉でした。
「みんながやっているから」という理由で、本当は気が進まないのだけれどむりやりやったことってありませんか?
例えば、
夏休みのラジオ体操だったり、
マラソンだったり、
義理チョコの配布だったり。
もしかしたら「結婚」も含まれるかもしれませんね。
それでも、怠け者の私にとってその言葉が強制力となってやらざるを得ない状況にさせてくれたこともあり、それはそれで効力があったと思います。
ただ、「みんながやっているから」というのは、「やらされた感」が残り、何となく後悔したと言うのもあります。
「みんなやっている」を利用した
この言葉を一時期頻繁に利用したことがありました。
それは、営業をやっていたときです。
「みなさんやってらっしゃいますよ」
この一言でどれだけの人が焦ったか。
「誰もやっていない」というのも同じ力を持つ
同じような効力をもつものとして、「誰もやっていない」という言葉です。この言葉で、どれだけ凄いことが葬り去られたことか。。。
実は「誰もやっていない」というところに本質があったりします。
また、「誰もやっていない」と言う言葉で、その行動を阻止する効力もありますから、それをやられると「困る」側の人たちにとってはとても便利な言葉なのです。
「みんなやっている」けどやらない方を選ぶ強さが人生を楽にする
「みんなやっている」と言う言葉を軽く受け流して「私は違う」という行動をとることで人生はものすごく楽になります。
そして「誰もやっていない」ことをすると、人生が変わります。
「みんなやっている」という言葉に振り回されずに、自分の道を進むことでしか人生は切り開かれません。