お盆の帰省のお墓参りと不思議な出来事

お盆のお墓参りは、年々体力的にもきつくなってきました。

東北地方とはいえ真夏の炎天下。

1時間半以上かけて4ヶ所に点在する親戚の墓地を回り身体はぐったり。

私でさえこんなに体力が持たなくなってきたのに両親はもっと大変だろうと思うけれど、両親は自宅に帰って早々、来客の対応に休む暇もなく動き回っていました。

 

 

今回の来客は叔母とその夫と孫の3人だけ。先に関西から帰ってきた私と私の子どもを加えても5人のみ。

 

つい20年くらい前までは、お盆と言ったら、祖父母や両親の親戚が仏壇への供え物を届けに立て続けにやってきて、数十人が出たりはいったりしてとてもにぎやかでした。

 

しかし、祖父母やその親戚達が毎年一人、二人と亡くなり、両親の親戚も老いて身体の動きが不自由になると、実家に訪れる人はだんだんいなくなり、とうとう関西地方に嫁いだ私と仙台にいる叔母しかいなくなってしまったのでした。

 

お盆に、実家から出た人が帰ってきて仏壇を拝み、実家を守る長男夫婦が彼らをもてなすのはこの土地の習わし。

 

私の両親は、叔母や私が帰ってくる間は気丈に振る舞おうと頑張っているのです。

 

若い若いと思っていた両親や叔母たちも祖母が元気だった頃の年齢になり、(私も認めたくないけど)その後に続いている状態。

 

いずれは、両親も先立ち、私も年老いてお墓の中に入る身になるのだろうと思うと人生なんて本当にあっという間です。

 

お盆には、毎年その他の来客があります。

 

その他の来客とは、ご先祖様たちです。

 

ご先祖様達は迎え火で迎えられ、生前過ごした家に戻って来るのです。

 

幼い頃、祖父母から言い聞かされた「帰ってくる」と言われたご先祖様達のことを私は全く知らず、何となく怖いと思っていました。

 

しかし、ここ十年以上前からは、お盆に帰って来るのは今は亡き、かつて一緒に生活した祖父母たち。彼らと過ごした遠く懐かしい日々に思いを寄せるようになりました。

 

「あぁ、この部屋でおばあちゃんは寝ていたよな」

カサカサと畳と足がすれた音がして、おばあちゃんの気配を感じていたあの頃。その音を聞くとおばあちゃんがそこにいるというだけで安心していました。

 

今ではおばあちゃんの肉体はそこにもうないけど、魂と気配は確かに残っているような気がして、呼べば返事をしてくれるような気がしてきます。

 

それと同時に、

お墓に入った後はどうなるのか?

祖父母は普段は、どこで何を思っているのか?

あの世ってどんなところなんだろう?

 

お盆の時期は否が応でも、考えても答えなんて見つからない謎がふつふつと沸きあがってきます。

 

そして私は、あの夏の記憶も鮮明に蘇ってくるのでした。

 

 

それは、私が小学生3~4年生の出来事でした。

 

私の実家の墓地のあるお寺ではお墓の区画整理が行われ、それぞれの家族でたくさんあった墓石を一家に1墓石にまとめていました。

 

当時は、一人亡くなるとそのたびに墓石を立てていたようです。私の実家でも、10以上のお墓がありました。それぞれのお墓は、誰のお墓か家族関係が分かったのですが、周りにいくつか何十年も誰もお参りしない、どこの家のものか分からないお墓が残されていました。

 

区画整理では、そのお墓をそのまま潰すわけにも行かず、私の実家で無縁仏として墓石の隣に入れることにしたのでした。

 

 

そしてその夏のお盆の頃。

 

見知らぬ家族が2件ほど私の家を訪ねてやって来たのでした。

 

1件は東京から、もう1件は函館からでした。

 

見ず知らずの私の家の実家を訪ねてきた理由を、それぞれの家族は同じことを言いました。

 

「亡くなった家族が夢枕に立って、住所と世帯主の名前を言った」と言うのです。

 

何日も何日も同じ夢を見るから、その亡くなった家族の言葉を信じて、見知らぬ土地だけれども、世帯主の名前を通りすがりの人たちに聞きながら、はるばる訪ねてきたと言うのです。

 

そして、よく調べてみると、その家族は、どうやら私の実家が墓の区画整理の時に無縁仏として同じお墓の隣に納めたお墓の人の子孫だったようでした。

 

 

私は、小学生だった頃のこの不思議な体験がずっと鮮明に心に焼き付き、「ご先祖様」というのは本当にいるんだと確信するようになりました。

 

今でも毎年お盆になるとあの日の出来事が蘇ってきます。

 

 

お墓参りは、古い風習に過ぎず、何となく形式的な感じがするのですが、とても意味深い習慣であると毎年思うのです。

 

 

だから、私が生きている間は、毎年お盆はお墓参りに行きたいし、実家に帰れるうちは多少面倒でも帰り、お墓参りは続けていこうと考えています。

 

 

そして、常にご先祖様達に守られている気配を感じて生きていたいと思うのです。

 

 

世間では立派な宗教がたくさんあり、すばらしい教典もあり、力のある神様もいらっしゃるようです。

 

私にとっては、何の偉業も残さなかった自分のご先祖様がどんな立派な宗教や神様よりっも大切にして、一生敬っていきたいと考えています。

 

 

そして、生きているうちに親孝行をもっとしておきたいと思うのでした。

 

 

 

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