銀河鉄道の夜のカンパネルラは、なぜ川で溺死したのか?

「なぜカンパネルラは川で溺死したの?」
 
宮沢賢治の代表作、「銀河鉄道の夜」を読んだ後、ずっと疑問に思っていました。
 
夢の中の幻想的な話のの結末が、主人公ジョパンニの親友の溺死で終わるなんて、全く理解できなかったのです。

その疑問が少しだけ溶けました。

あぁ、そういうことだったのかもしれない・・・

 

 

銀河鉄道の夜のカンパネルラ

 

銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫 緑76-3)

銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫 緑76-3)

 

 

ストーリーに出てくるカンパネルラは、お父さんが学者で、珍しいモノを所有する裕福なおうちで暮らしています。
 
主人公のジョパンニは、お父さんは行方不明で、病弱で寝たきりのお母さんがいます。
 
ジョパンニは、お母さんのために学校から帰るとすぐに活版屋で仕事をして家計を支えています。
 
そして、ジョパンニは学校でザネリなどからいじめにあっています。
 
ジョパンニは、心身ともに疲れ果てている子どもとして描かれています。
 
カンパネルラは、家族や友だちには不自由せず幸せな環境にいるのに、学校でのジョパンニの友だちからの冷酷な扱いに悲しそうに遠くから見ているだけです。
 
この二人が、銀河ステーションから銀河鉄道に乗って夜空を旅します。
 
ここで、初めてカンパネルラがジョパンニに自分の思いを語るシーンがあります。
 
この台詞を読んで、あぁ、だからカンパネルラは溺死したのか・・・と思いました。

カンパネルラが溺死した理由とは?

カンパネルラが、突然こんなことを言います。

「おっかさんは僕を許してくれるだろうか?」

「僕はおっかさんが本当に幸いになるのならどんなことでもする。だけど一体どんなことがおっかさんの幸いなんだろう?」

「誰だって一番良いことをしたら幸いなんだね」

「だからおっかさんは僕を許してくれると思う」

これらのカンパネルラの台詞から、カンパネルラが「おっかさんの幸いのため」覚悟した様子が伺えます。

カンパネルラのお母さんは幸せではなかった

カンパネルラは、お金も友人関係も家族も全く何一つ不自由していなかったのに、ちっとも幸せではなかった。

それは、お母さんが幸せでなかったから。

このストーリーには、カンパネルラのお父さんは登場しますがお母さんはこのカンパネルラの台詞の部分だけの登場です。

カンパネルラのお母さんは、裕福で恵まれた環境にいたけど幸せではなかったという様子が推測されます。

カンパネルラは、「お母さんに幸せになってもらいたい」と思いながら頑張ってみたけど、お母さんを幸せにすることができず、自分の無力さから溺死という選択をしたのかもしれません。

子どもはお母さんの幸せを願っている

カンパネルラがお母さんの幸せを願っていたように、子どもはいつもお母さんの幸せを願っています。

うちの子が以前同じクラスだったお友達は、

 
「お母さんを喜ばすために勉強を頑張っている」と言っていたようで、「80点以下は絶対に取らない」とテストでの高得点を目指し、もし80点以下だったら本気で悲しんでいたようです。
中学受験する子たちも、「お母さんを喜ばすため」に必死で頑張っています。
 
子どもが、お母さんの期待に答えるために頑張る姿は本当にけなげだと思います。
だから、それを良いことに子どもに過度な期待はしすぎないようにしたいと私も常々自制していますが、無意識にこちらの勝手な期待を押し付けていたりします。
 

大人が幸せであることが平和への道

 
お母さんに限らず、お父さんも含めた大人たち全員が幸せであることが、平和活動なのではないかと思いました。
平和って、手に入らない壮大なロマンなのではなく、大人一人一人が自覚を持って自分自身を幸せにすることがそこにたどり着く最短の近道。

銀河鉄道の夜のカンパネルラは、残念な選択をしてしまいましたが、現実に生きている子どもたちには、カンパネルラと同じ選択はしてもらいたくない。

大人が幸せでいることが、本当の幸い。

 
遠慮せず、みんな幸せになって、後に続く子どもたちの未来を明るく照らしてあげましょう♪

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