イヤなことが起きて落ち込んだり、腹が立ったりしたことがありませんか?
私の場合は、人と比べられることが非常にイヤです。
ここ最近も、人と比べられることが多くなり、たいていは私の比較の対象になっている人が絶賛され、ほめられ、私はそのたびに自分のダメな部分が強調されたようでウジウジと落ち込みます。
先日も一緒に仕事をしているAさんが、取引先企業3件くらいから連続でほめちぎられ、更に私とコンペのような状態になり、Aさんの仕事が選ばれていました。
このような状況ってどこの仕事場にもあるし、私も実際に何百回と経験しています。
当然、ほめられ、絶賛され、選ばれている人の方が実力があるし、私は負けを認めなくてはなりません。
しかし、過去に自分を過大評価していた私は、嫉妬に狂いそうになっていました。
比較される相手を嫌いになっていましたし、ほめたり絶賛したりした人たちも嫌いになっていました。
それでも、歳月と共に私も丸くなり、だんだん自分の実力のなさを認められるようになったものの、それが「どうせ自分なんか・・・」という卑屈な感情に変わってしまったのです。
「比較されて負けるんだったら、最初から自分を否定してしまえ!」
そんな負け犬根性にすり替わっていったのでした。
この「どうせ私なんかは」という気持ちほどやっかいなものはありません。
自分で自分を見限り、努力を放棄し、卑屈な感情を周りにまき散らしているのです。
それを続けていれば、当然、自己成長はないし、周囲からは煙たがれ、嫌われるだけです。
こんな状態から抜け出すために、色んな本を読んだり、知識から学んだことは、
負けを負けと素直に認め、屈辱をもっと高尚な感情に変換させて、相手の喜びを自分の喜びとして受け入れ、自己成長のために努力するきっかけとして頑張る。
これが理想的なやり方だそう。
しかし、
「このような他人の比較にさらされる私って、本当はどうなの?」
「他人の評価に一喜一憂している私ってどうよ??」
周りの評価に振り回されているのがホトホト嫌になっていた時、分かったことがるのです。
それは、周りに比較される状態を創っているは実は私の心が原因。
心とは、潜在意識という自分では普段意識できない場所です。
私は潜在意識を現実化していたのに過ぎなかったのです。
私たちは、自分の心の中を現実化させた人生を生きているに過ぎないのです。
認めたくありませんが。
負け犬になる現実が頻繁に起きると言うことは、「どうせ自分なんか・・・」という感情を現実化させる潜在意識を持っていたのですね。
この「どうせ自分なんか・・・」という感情を手放せば、現実も変わっていきます。
つまり、潜在意識の中にある、心のプログラムを消去するのです。
潜在意識の中のプログラムを消去する方法は、いくつかあって、一つはその感情が出てきたら、イヤな気持ちをとことん味わってみること。
例えば、嫌いな食べ物ありますか?
もし、ピーマンが嫌いなら、ピーマンをじっくり口の中で感で味わうように、イヤな感情を味わうんですね。
「まずい、まずい」
まずくて涙が出てくるかもしれないけど、味わう。
そんなかわいそうな状況にいる自分に耐えられる人はきっと少ないと思うから、それを他人事だと思うんです。
まずいピーマンを食べているのは、私によく似た赤の他人。
「あ、○○ちゃん、まずそうにしている・・・」
そんな風にまるでテレビの向こうに映っている芸人を見るようにイヤな気持ちを味わっている自分を客観的にみてみる。
それを嫌なことが起きるたびにやる。
コツはもちろん、私以外の他人にやらせる。
「こんな嫌な感情を味わっているのは他人なんだ」とその感情を突き放して見れるようになったり、だんだんその感情に反応しなくなった時。
潜在意識から、イヤな感情が消えて、現実にも現れなくなってくるようになります。
思考は現実化するなんて高度なことに挑戦する前に、現実化している思考(潜在意識)をどうにかした方が何かと都合が良いんじゃないかなと思います。